たぶん、映画作りを始めて、周囲の人から「変なことやってるなあ」と白い眼で見られ、また思うように映画作りがうまくいかず焦燥感を感じたときのことを、「赤汁」販売に置き換えてるのだと思う。
「不詳の人」所収の「道」は、そういう事情を象徴的にじゃなくストレートに描いていた。
山下監督が賢明だと思うのは、映画を作る人が主人公で、かつ映画を撮ることがテーマなんていう作品を劇場用デビュー作(どんてん〜は卒業制作で、これが評価され奨学金で撮ったのが本作なので、本作がプロとしての第一作と言えよう)にしなかったところだ。トリュフォーが「アメリカの夜」を、深作が蒲田行進曲を撮ったのもすでに成功してからであって、出だしから「映画についての映画」を撮るのは良いことではないと私は思う。
たとえば、アレクサンダー・ロックウェルの「インザスープ」は好きだったが、映画青年が主人公の映画を初期から撮っちゃって大丈夫か?とも思った。次の「サムバディトゥラブ」もハリウッド周辺に住む、女優を目指してるような女性(つまり映画人を目指す人)が主人公だった。こちらも作品としては好きだったが、この監督の将来を危惧した。そして、最近何やってるのか知らない・・・。
映画青年が主役という点では山下の三作目「リアリズム〜」もそうだが、彼らが映画人でなくてはならないエピソードは最小限に抑えられていた。
そして映画人を直接描いたような作品は、「道」などのVシネ的な小品で、試作的に撮ってガス抜きということなのだろう。これは賢い。
ベロニカ役の女優は大塚寧々に感じが似てる。パジャマで自販機に向かうところを足から撮るとか、その直後に主人公夫婦と出会い去りぎわに振り返って笑うところとか、妹に平手打ちするくだりとか、この女優を魅力的に撮ろうという姿勢が伝わってきて良かった。
どんてん〜ほど「原石!」という感じもせず、リアリズム〜ほど磨かれた感じもしない、過渡期的な作品という印象を受けるが、やっぱり好きだな。

隠喩としての赤汁
かっこ悪くても許している目線