けんかに明け暮れる一方で、初恋の少女に恋焦がれる昭和初期の青春。この映画は、荒々しいながらそれでもかわいらしいけんかの対極に、同時代の青年将校によるテロが存在していた、とほのめかす。すなわち、2.26事件もただのけんかだと強烈に批判しているのである。
と、内容についてはまとめられる。でも、印象に残ったシーンをひとつ。それは、高橋英樹が好きな女の子が愛用するピアノの前で自分の恋心をひとり確かめるのだが、でも、彼が手も触れていないのに、ピアノの鍵盤がひとつ「ポーン」と鳴るシーンだ。彼の役は、自分の体のどの部分で鍵盤を弾いたことになるのか、よく考えてほしい。思春期に恋心が性の目覚めと微妙に結びついていることをさりげなく示す名シーンだ、と思う。しかし、高橋は、当時、若き女性たちのアイドルだっただろう。彼女たちから見ると「汚れシーン」でしかないものをよく演じたものだ。
これは、映画俳優とテレビ俳優とのちがいをも示しているようで興味深い。往年のアイドル主演のテレビドラマ・シリーズでのやさしいお父さん役で有名な俳優が、「いつも同じような役ばかりで退屈しなかったんですか」というトーク番組のホストの問いにこう答えた。「テレビの役者はイメージを大事にしますから」、と。つまり、極端に図式化して言うと、テレビの役者の多くはイメージを大切にし、できるだけ善人役を演じ、あわよくばCMに出演してお金を稼ぐことを目的とするのに対し、映画の役者の多くは、基本的に脚本で「いい作品」だと納得しさえすれば、作品のあとに自分に残るイメージは気にせずに、どんな役でも引き受け、どんなシーンでも演じる。
そう、ぼくは、『けんかえれじい』の高橋英樹から映画俳優の芸術家肌を感じたのだ。