「松田聖子と中森明菜 (幻冬舎新書 な 1-2)」のカスタマーレビュー
力作であるにも関わらず
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本書は、松田聖子と中森明菜という二人の歌姫を中心に80年代の歌謡曲について書かれたものである。膨大なデータと書籍からの発言の抜粋を中心に、二人の歌姫の軌跡を描いている。
私が気になったのは以下の点である。
松本隆が松田聖子の歌詞に、二重の意味をこめていくことになるくだりがある。それは松田聖子の表現力が高まり、詞に様々な意味を含ませることが出来るようになった、と著者は書いている。しかし、素材としての歌手というものは、歌い続けていれば上手くなるものだ。著者の筆はやや大げさな気がする。
また、細野晴臣の「天国のキッス」について、同業者として松任谷由実が注目するほどの難曲だった、と書いている。細野が若き日に在籍していたバンド「はっぴいえんど」についての詳しい記述があるが、細野と松任谷の関係については、同格であるような印象を受ける。細野、松本の前に現れた荒井(松任谷)由実は、まだほんの小娘だったことを、著者は知らないようである。
気になる点は多々あるが、全体としては一貫した口調で、松田聖子と中森明菜の歌手として、女性としての側面が語られていく。特に歌詞の分析は、なるほどと思う部分もあり、とても楽しめる。
著者の経歴から、楽曲として、つまり譜面としての分析もあるのかと思っていた。しかし、それは一切なかった。山口百恵というドラマが終わり、80年代は横浜トラディショナルが流行り、そのスタイルが似合いそうな体型の松田聖子が、旧態以前としたお人形さんスタイルでデビューした。著者の書くとおり、反発していた女性の多くは、松田聖子の楽曲の良さからファンになっていった。これについては異論はない。
著者は中森明菜について、セルフプロデュースが出来ると書いている。しかし、そのファッションは、お世辞にもファッショナブルとは言い難かった。そういう点で、素材になりきれなかった明菜、という分析は当を得ている。しかし、自分の意見を言う聖子という部分は疑問だ。素材になりきった聖子、という印象を私は持っているからだ。
石原事務所という後ろ盾を必要としたがゆえの結婚。有名な女優を母に持つ神田正輝だが、これまたお世辞にも人気俳優とは言えず、したたかな女性としての松田聖子が浮き彫りになったと思う。こういった点に、著者は深く言及していない。小さいが貴重なエピソードが、多く書いてある前半部分と、後半のトーンがかなり違うのが気になるところだ。
また、中森明菜の記述が松田聖子に比べて少ないのが非常に残念。だが、良くも悪くも、当時の懐かしさが蘇ってくる書である。既にテレビから遠ざかった歌手を思い出す。知らなかったエピソードもあるので、マニアには良いかも知れない。
公開資料と作品だけで鮮やかに読み解いた、二人のスーパーアイドルの“時代”
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「八〇年代」を覆っていた時代の空気感を、時代を象徴する二人のアイドル松田聖子と中森明菜の楽曲を通してリアルに描ききった、かなり読み応えのある社会評論。彼女らの「スキャンダル」や「生き方」に比重を置くことなく、あくまで「作品」に焦点を絞って読み解いたところがミソである。当時の人気番組「ザ・ベストテン」のランキング推移をデータとして利用した点も、同時代で番組の熱気を知る読み手には実感的で判りやすく、かつ懐かしい。二人を描くための前史として置かれた70年代アイドルの象徴=山口百恵論も含め、個人的には結構ツボにはまってしまった一冊。
文章を読む限り、本人や関係者達への直接取材は行われていない。逆に言うと、その気になれば誰でも(=私にでも)入手・閲覧できる出版物や公開資料だけを駆使して、ここまで人を引きつける論考を書き上げた構成力に脱帽する。
ちょっと大袈裟…って言うか、かなり…
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「社会変革を目指した学生運動はやがて瓦解し終息するが、同時期に進行していたこの世代による音楽革命は成功した」(p150)という言葉に示される通り、これは全共闘勝ち組的視点から書かれた革命史。
最初の革命は百恵。「鉄道と電波を制圧するのが、近代における革命の条件だとすれば、山口百恵は日本史上、ただひとり、真に成功した革命家だった」(p52…って、旧国鉄のCMソングを歌い、紅白でポルシェの名を出しただけなんだけど…)。そして百恵とピンクレディーによってアイドルの時代が極限に達した後、聖子が登場する。「演技であることを知った上で、聖子はアイドルを演じた。それが新しい何かだった」(p95)。「彼女にとってアイドルは思想であり、戦略であり、そして体制だった。マルクスとエンゲルスの思想をレーニンが戦略化してロシア革命を成功させ、ソビエト体制を作ったように、松田聖子はアイドル革命に向かって邁進し、それを成功させ、体制を築くのである」(p93)。
百恵と聖子の背後にいた宇崎竜童と松本隆は「敵陣に飛び込み、内部から攪乱し、やがて体制を転覆させようと考えていた」(p155)。「松田聖子という希有なシンガーを媒介にして、日本音楽界の最先端にして頂点にある才能が、大衆と結びつこうとしていた。/前衛と大衆が結びついたとき、革命は起きる」(p224)。著者も属する60年代生の世代は団塊のように街頭闘争せず、消費だけしていたが、「乏しい小遣いを工面してアイドルのレコードを買い、リクエストはがきを出すことで、音楽界の既成秩序を崩壊させた」(p298)。かくして80年代、「時代は、表面だけの美しさを追い求めようとする18歳の女性にリードされることになる」(p122)。「…意味など無いのだ。天才である松田聖子は論理的思考などしない」(p266…って、オイ)。
ただし著者は聖子革命について、「松田聖子が無自覚に、松本隆が確信犯的に破壊した、日本の旧来の男女関係、個人と社会との関係は、修復されることはなかった。歌はますます意味がなくなっていき、言葉遊びですらなく、ただメロディーとリズムに乗せられるだけになった」(p307)と慨嘆してもいる。そこで重要になるのが中森明菜。
明菜は聖子のアンチとして、百恵を継承する形でスターとなった。だとすれば、彼女は「未知の領域に臨まねばならなかった。山口百恵は青い性典とツッパリの次の段階を示さずに終わったから」(p247)。明菜の混迷は、ポスト聖子の時代を拓くことの困難を象徴しているのだろう……と、こういう話になればキレイなんですがね。
ある意味凄い!
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まあよくぞここまでアイドル文化を掘り下げたものだと
感心します。
特に松田聖子の研究には深みがある。歌詞の分析も
なかなか面白い。当時はまだ小学生だったからそんなに
深く考えていなかったけれども、たしかに意味不明な
部分もあって、それが松田聖子らしさの一因でもあると
いえます。
80年代あの時はとても忙しかった(後半はROCKに
入っていった私ですが)とにかく新曲の出るサイクルが
早かったから、聖子ちゃんも明菜ちゃんも、キョンキョンもetc
覚えなくちゃいけなかったから。オマケにジャニーズ系も
好きだったから。お小遣いがなくてレコードは大して買えなかった
けれど、2枚組みの聖子ちゃんのBEST、SEIKO PLAZA
を手にしたときは涙が出ました。
明菜ちゃんの悲しい事件で、アイドル文化は衰退していったけれど、
ROCKをやっていても、アイドルを否定できなかった。
あれはあれでよかったのよ。コピーしたい曲もいまだにありますから。
と言う気分だ。
たった一冊の本だけど、当時のことが目に見えるようでした。
アイドル文化にハマッた人にはたまらない一冊と言えましょう!
懐かしい。
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目の付けどころのよい、手際よくまとめられた80年代日本音楽事情の鳥瞰図。
業界人ではない、一般の当時10代、20代前半だった人には青春の舞台装置、背景を確認しつつ、うなづきながら振り返って楽しく読める。我が家でも、私が読んだあと、私とは読書の領域が重複しない嫁さんが、珍しく手に取って一気に読み終えていた。
それにしても、2人のチャレンジ精神は、企業家魂といってよいほどのものである。当時私は、ソリッドな日本社会の閉塞感に拘泥していたが、個人的な限界史観にしかすぎなかったのだと今にして思う。カネボウはもう粉飾をしていたのだろうか。それでも、市井の歌は生き続ける。フリードリッヒ二世とワーグナーの関係が想起される。ファニーである。