本書の“序 無魂無才の不幸―日本人の精神はどこへ”において、佐伯氏は“マス・メディア、ジャーナリズムといった広い意味での言論知識層における言論の乱れ、時には無責任、あるいは確信の喪失こそが、現代の日本の漂流の重要な原因ではないか、と考えたいのである。”と言う。
“1 戦後五十年、アメリカ化の五十年”では、大衆消費社会の創出、アメリカニズムという現代の病、などが書かれている。
“2 「西欧文明」と日本の知識人たち―戦後思想と丸山真男”では、文明の衝突、丸山眞男が無視したもの、などが書かれている。
“3 デモクラシーは「責任」をとれるか―不透明な時代の責任論”では、エリーティズム対ポピュリズム、無責任な責任論、などが書かれている。
“4 サブカルチャー化する現代”では、オウムに破壊される市民文化の欺瞞、世論に破壊されるデモクラシー、などが書かれている。
“5 「市民社会」の崩壊”では、信頼の上に成り立つ市場経済、市民社会のルサンチマン、などが書かれている。
“終 信頼と民主主義”では、エリート文化の精神構造、近代化のバラドックス、などが書かれている。
民主主義というものに対しての批判を私は聞くことがある。だけども、民主主義を無くせと主張する人は聞いた事はない。だから思うに、民主主義というのは疑念の中にあって平衡がとれる制度なのかなと思ったりする。
そして佐伯氏は「デモクラシーはいくらでも無責任体制になりうる」のだという。民主主義には負の面も考えうるわけだ。そうした事を考えさせられる本なのだと思う。

現代民主主義の病理
分析としては面白く、処方箋としては駄目
民主主義と全体主義は対立概念ではない