「大学という病―東大紛擾と教授群像 (中公文庫)」のカスタマーレビュー
人間的な、余りに人間的な学者群像
東京大学経済学部を主な舞台に、その創成期から68年大学紛争期に時代を置き、東京大学・文部省・新聞・雑誌、そしてそこで蠢く「学者・インテリ」の余りに人間的な「渡世」と「処世」が、豊富な資料的裏づけを持ちながら展開されている。
東京大学経済学部教授会内の派閥抗争と「院外団」、そして時世が縦糸・横糸として絡まりながら、名目的なイデオロギー・学説と言ってしまっては身もふたも無いが、後に名を残す学者が、時に攻守を換え三国志もどきの合従連衡も繰り返しながら刻んだ歴史が記述されていく。
「高名」であろう学者の生態は可笑しくも悲しいが、人と組織そして権力を考える時、何処の世界でも展開されている人間模様が、大学という舞台であるがゆえに膨大な記録が残されていると見る事もできる。
本書から読み取れる人間模様は、今日もどこかで配役と時代設定・名目を変えながら再演されていることだろう。
「派閥菌」「派閥病」の感染・発病を回避するために、あるいはせめて重症化を防ぐために一読するのも一法と思われる。
東京大学の「体質」
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この本は戦前の東京大学経済学部教授の「師弟関係」や「派閥抗争」を描くことによって東京大学の「体質」やジャーナリズム界を含めた「知的世界」を描いた本です。
河合栄治郎(自由主義派)、土方成美(日本精神派)、大内兵衛(マルキスト派)、そして大森義太郎(在野の知識人)、どの派閥にも肩入れせずに描かれており読みやすい本だと思います。
東京大学の「権威」の裏で、ある意味「人間」的な人達が生息しているということがよく分かります。
この本を読めば、「師弟関係」や「派閥抗争」の問題だけでなく、すでに当時から「大学の没落」や「大学無用論」など大学に対する「批判」があったということが分かります。
ところが、戦後は、その問題が「軍国主義」と「大学自治」の「闘い」という問題にすりかわり、戦前に指摘されていた問題がうやむやになった、ということが明らかにされます。
つまり「大学という病」は現在も治っていない、という竹内氏の指摘は正しいと言えるのではないでしょうか。
「大学の自治」の正体
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戦前から戦中にかけての東大経済学部の歴史を扱ったもの。法学部からの独立を果たした直後から派閥抗争に明け暮れ、遂には当局の介入を誘発して崩壊していく過程が、豊富な資料に基づき丹念に描かれる。そこから浮かび上がるのは、「教授会による自律的人事」という大学特有の制度のガバナンスシステムとしての不全性であり、また、実質としての研究・学問を犠牲にしてでも形式としての自治を守ろうとする大学人の救いがたい体面主義である。著者の他の著作と同じように、文章や分析に何とも言えない味わいがあり、単純に読み物として面白い。
東京大学経済学部創生期の実態
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「大学神話」の崩壊という事実は、既に創生期の東京大学経済学部にみることができるものであった。「一ノート20年」「半分休講」のエピソードなど、退屈な授業の現状(ある講義では、「承前」という言葉に続いてひたすらノートを読み上げ、しゃれを言う箇所も毎年同じものであったという)や、労農派マルクス経済学者大森義太郎の進退問題に始まり、めまぐるしく進展する学内の派閥抗争等々。その一方で、当時から雑誌ジャーナリズムの知的水準は高いものであったとの指摘は興味深い。最後は、レージャー化した大学教育、「大衆化」した大学教員についての批判を行い、「大学知」への自省を求めている。
これは面白い
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ショッキングなタイトルに惹かれて、読んでみました。
扱っている範囲は立花隆の「天皇と東大」の方が断然広いのですが、
本書は戦前における東大経済学部のゴタゴタにフォーカスされている分、
分かりやすく、非常に面白く読めました。
時代の右往左往と、東大経済学部の右往左往が、
確固とした思想を持った一部の教授たちの通奏低音に
あぶり出されている、そういう読後感を持ちました。