「有限と微小のパン―THE PERFECT OUTSIDER (講談社文庫)」のカスタマーレビュー
鮮やか。
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少々、長すぎたのでは、とも思うが、
シリーズの完結編と考えるなら、この長さもやむを得ない。
推理小説としては、はっきり言って破綻しているし、
犯人の動機の弱さも相変わらずで、残念な面は多々ある。
しかし、天才・真賀田四季をはじめ、主人公である犀川や萌絵の成長、
そして森博嗣の価値観が如実に表現されており、
感銘を受ける言葉がいくつもあったのは事実。
『すべてがFになる』と対になる作品であり、
ラストの鮮やかな幕引きは、著者の作品の中では秀逸。
個人的には星5つでは足りない、著者の代表作であると思われる。
タイトルもいいしね。
読み応え十分!
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評価は人それぞれだが、トリックと真犯人がわかったときの驚愕や興奮についてはシリーズで
1,2を争うと感じた。
他のレビューにもあるとおり真賀田四季の存在感が全体を引っ張っていき、まるで主人公のような
扱い(それでいて萌絵も犀川も十分活躍してるのだが)。
また、他にもRPGに描かれたメッセージの謎や、萌絵の泊まった部屋にあったメッセージの謎、教会
のエレベーターの消失トリックなど、細かい謎解きが多く飽きさせない。
最後の最後であっと驚くオチがついている。
また、萌絵のラブラブアタックも健在で萌絵ファンにとっては微笑ましい場面も多い。
真賀田四季を俯瞰する事は不可能。
5人中、2人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
犀川&萌絵シリーズ長編最終巻
『すべてがFになる』に偶然出会った事から始まったわけですが、
※『すべてがFになる』
『冷たい密室と博士たち』
『笑わない数学者』
『詩的私的ジャック』
『封印再度』
『幻惑の死と使途』
『夏のレプリカ』
『今はもうない』
『数奇にして模型』
※『有限と微小のパン』
※以外の八作品、作中での三年という経過した時間軸は
すべて最初から『有限と微小のパン』の為に用意されたエッセンスの様にさえ感じました。
『すべてがFになる』で鮮烈に記憶に焼き付いた森博嗣の世界が、澱みなく『有限と微小のパン』に回帰しています。
文章を構築する単語、羅列すべてが筆者個人からの信号のように
読み手に世界を打ち付けてきます。
けれどこれは『F』から『有限と微小のパン』へ直接飛んだのでは完結はしないのです。
用意された全ての時間を味わってのちに『有限と微小のパン』が全力で読書を楽しませて、このゲームで遊ぼうと言ってきます。
『F』読後、
真賀田四季は《必ずまた現れる》予感を与えて去りました。
私は犀川&萌絵シリーズを読み進めながらずっと真賀田四季との再会を夢見ていたんです。
だからこそ犀川の意識に真賀田四季が現れた時にどれほど興奮した事か!!
真賀田四季が観客に択んだ犀川だからこそ、こんなにも面白い。
逆説的に、真賀田四季によって現れる犀川の奥にいる人格にも強く惹かれるんです。
森博嗣氏の到達点と転換地点と評された『有限と微小のパン』
素晴らしい作品です。
私の持っている言葉では表現に足りない。
でも、これはたった一つの綺麗な恋の話だったと思う。
恋の定義かは不定だけれど、
真賀田四季を俯瞰する事は不可能だから。
真賀田四季!!真賀田四季!!真賀田四季!!
3人中、1人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
真賀田四季と言う「天才」が、この868ページもの超大作を引っ張って
いるのは言うまでもありませんが、それでもこの完成度には驚愕です。
やはり完全に四季に私は洗脳されていますね。(笑)
兎に角、「F」と並んでシリーズ最高傑作であることは間違いありま
せん。やはり真賀田四季が裏にいる…という辺りがファンとしては嬉
しい限りです。個人的には映画「羊たちの沈黙」のハンニバル・レク
ターと真賀田四季をダブらせているところがあるのですが…
実際、このシリーズで真賀田四季が出るのは「F」と「有限」だけと
言っても過言ではないのですが、それでもシリーズを通すと最後には
彼女しか残らないのですから…すごい存在感です。
とりあえずこのシリーズはこれで終わりですが、これからの森博嗣先
生(真賀田四季)の活躍に期待しています!!それにしても、このラ
ストは「F」と同様素晴らしい♪「THE PERFECT OUTSIDER」というタ
イトル通りですね。是非。
ps.シリーズを通して読んで頂いた方がより楽しめますよ。
外側か?内側か?
5人中、3人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
現在、ネットで距離を隔てて、情報がノータイムで共有できる世の中で「外と内の境界条件」とはなんだろうか。
「外」と断言出来る場所はあるだろうか?
それは個人の認識の問題だと思う。
物理的に建造物の外側にいても、外と繋がっていない場合それは、本当に外だろうか?
建物の中にいても、ネットで繋がっていたら、電子のやり取りをして、外界と関係性が生まれてくる。
人間の中に完璧な客観は存在しない。
しかし、芸術や矛盾を美しいとする、ロジックではない『感覚』を認め、
『よくわからない』と、文章化してくれることに作者の正直さと生きる希望を感じました。