歴史の哲学、あるいは哲学の歴史
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歴史とは何か、歴史といかに携わるべきか。本書において取り扱われるのは、表題の通り、
そうした歴史の哲学。
「超越的歴史」、「内在的歴史」、「実存的歴史」という三区分をベースに、筆者の専門と
するドイツ近現代哲学の議論を中心として、歴史をめぐる思考に明晰な筆致をもって迫る。
歴史の哲学であると同時に、いわば哲学の歴史としての性格を併せ持った一冊。
そしてまた、歴史の問題は単に過去を扱うものとしての歴史の問題にとどまらず、とりわけ
科学の進展した現代を生きる我々にとって、当然に自然への関わりをも視座に入れたものと
なってくる。特に最終章のヤスパースへの言及には、その傾向が顕著に現れる。
明晰な筆致、と先に記した。しかし、ヘーゲルやマルクス、あるいはハイデッガーあたりの
晦渋な訳語・術語にあまりなじみのない人々にとっては、ややもすると、その明晰さを把握
しづらい面があることも否めない。逆に、そのハードルを乗り越えたものにとっては、非常に
スマートで、かつ示唆に富んだ一冊となっている。
歴史を見る目を養う
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歴史とは、何か?
人は、歴史とどう付き合っていくべきなのか?
その問いに一定の回答を与えているのが、本書と言える。
こうした、「歴史の論理」、言い換えれば「歴史哲学」は「世界をどう見るか」という「世界観」に繋がる基本的な問題である。
そして、この「世界観」は今までに色々と提示されてきたと言える。
ランケの実証主義しかり、ヘーゲル・マルクス的進歩史観しかり、アナール学派然りである。
しかし、日本ではこうした「世界観」の問題はそっちのけで「実証的研究」に入るため、自分がどういった「世界観」を基盤にして立っているのかを知っている人は少ない。
結果、日本の教科書にはヘーゲル・マルクス的進歩史観に「毒されている」と指摘されるように、無意識的に立たされた「世界観」を当たり前のモノとして受け入れてしまう。
他方で、アナール学派の「世界観」に立った社会経済史学に影響された記述も当たり前のように蔓延していると言える。
このように、日本では無意識的な「歴史哲学」が蔓延しているのにも拘わらず、こうした「歴史哲学」の分野は流行らないと言える。
本書を書いたのは、哲学者であり歴史家ではない。
それ故に、相対化した第三者的な目で「歴史哲学」を俯瞰していると言える。
ベルンハイム・ヘーゲル・マルクス・コリンウッド・クローチェ・ウェバー・三木清etc...と近現代の著名な哲学者・歴史学者の「歴史哲学」を丁寧に見ていき、それに対して問題点を指摘しながら、各章が続いていく。
読み進む内に、歴史に対して今まで無意識的に立っていた自分の立場が浮き彫りにされるようで、「歴史を見ること」の難しさを痛感させられる。
その一方で、その土台を見つめ直す良い切っ掛けとなった本でもある。
哲学のみならず、歴史に興味ある人には是非手に取って欲しい一冊であろう。
その上で、自らの足下を見つめ直し、固めることができれば、氾濫する情報に踊らされることなく、「歴史を見る目」が養われるであろう。