「老子―自由訳」のカスタマーレビュー
老子がインドに渡って、仏陀になったという「ほら話」、実に夢がありますわな
3人中、2人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
貧乏暇なし、の言葉通り、わてはこの本を中古屋さんで安く買っても、鞄に入れっぱなしで読む時間がなかった。我が身の無能さと所以のない多忙さに、ただ呆れるばかりですわな。
ほいで、20世紀の年寄のわても、老身にむち打って付き合いで行った某大型テーマパークに、本書を持参いたしました。順番待ちで軽く読んでしまいました。しかし、軽い本、という訳では決してない。いや、多くの(20世紀の)日本人は「無為の為」とか「水になれ」とか中学の自分に聞いて、まあ世の中変わりモンが居るんやな、位に思とる人がほとんどでっしゃろな、老子については。わても、それ以上の知識はなかった。
中学の国語の授業からウン十年。偶然出会った本書は、容易に分かる日本語のかたちで、老子の思想を教えてくれた、テーマパークの順番待ちの列で。浪費文化の頽廃ともいえるテーマパークで、わては声を大にして笑いたかった、空は本当に晴れ渡ってきた。
老子は、些末な競争社会のつまらなさを教えてくれる。やらなくていい仕事なら辞めてしまえ。役職に奢るな。人から自然と推されるような指導者になれ。自然と調和せよ、等の表現もあり、今世紀の環境調和社会さえ予言されとる。いわれると当たり前ともいえますけども、21世紀になって、いまになって地球温暖化が議論され、政争の具にされておる現状。こうした政治さえ、老子は一刀両断に切り捨てられとる。
老子がインドに渡って、仏陀になったという「ほら話」。実に夢がありますわな
新井風老子に、それぞれの老子理解をぶつけて読んでみよう
8人中、7人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
「老子」の本文を読んで(または眺めて)いると、初めは分からないことが多いが、そのうちに少しずつ読み取れるようになる。それをある程度繰り返した時に、たとえばこの本を読むと、あっそうか、ここはそう読むのか、そういう意味なのか、などと教えられたり、待てよ、そこはちょっと違うんじゃない、などと思うことがある。
「老子」は奥が深く幅も広いので、その読み方は、人様々になることが多い。この本も、新井満風老子の読み方を示してくれる。新井さんは、如何に生きるかを中心に読み取っている。私は、他にも、加島祥造さん、伊藤淳子さんなどの「老子」の読み方に接して、自分の読み方を鍛えさせてもらってきた。
書物は、多少なりともそんな読み方、つまり知識を得るよりも自分の知恵を鍛えるような読み方をするのが良いと思うのだが、とりわけ「老子」は、そんな読み方が相応しい。新井満風老子(の読み方)に、読者それぞれの老子理解をぶつけながら読んでみると、新井さんの上を行くことすらできるかも知れない。「老子」とこの「自由訳−老子」はそんな本だと思う。
所々に挿入された自由訳の一片を添えた美しい写真。環境映像を手がける新井さんだけに美しい。が、それ故にいかにも割り込んでいる感じで、読むリズムがしばしば削がれ、冒頭にグラビア風にまとめるなどの方が良かった、と感じて評点をひとつ削らせていただいた。
いのちの哲学
5人中、5人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
『老子』などという難しい本に触れることなど考えられなかった私ですが、
この本と出会ってそれが可能になりました。
とても味わい深い内容なので、何度も読み返しているところです。
『「あとがき」に代える八つの断章』に著者の思いが詰まっていますので、
少しだけ紹介します。
・定年退職後は老子原理で生きるべきではないだろうか。・・・老子が、
あらゆる思想哲学の根幹をなす最重要課題「いのち」について、もっとも
深く考察した「いのち哲学」であるからなのだ。
・道とは、いのちのこと。徳とは、愛すること。
特にしみじみと心に残った章は、『相対と変化のはたらき』。
万物は一つの例外もなく
時の流れと共に変化する
変化した末に亡び
さらに変化した末に再生する
道(Dao)を大切にする
8人中、7人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
「老子」の原典を読もうとしても、普通の人には難しすぎる。本書は、誰にでも分かり易いようにかみ砕いて、その要点を鮮やかに示してくれている。詩的な分かち書きで、まことに読みやすい。脚注のように漢文も下に載せている。
全体の構成は「道」と「徳」に分け、それぞれ9章ずつである。
まず「道」(中国語でDao)から天と地、即ち大自然が生まれた大本になるもの。いのちの巨大な運動体、宇宙大河である「道」との絆を大切にしなければならない。「水が流れるように、風が大空を吹きわたるように」「ゆったりとおおらかに生きなさい」と教える。 「無為」をすすめる。するなと言おうとしているのではなく、余計で余分なこと、不自然なことをするなと言っているのである。「才能の光は、やわらげておきなさい。世俗の塵の裏側に、そっと隠しておきなさい」と言っている。
さて「徳」は「道」に目覚めた人のやり方で、人と争わず誰よりもひかえめで謙虚な態度をとることである。「怨みには徳を以て報いなさい」「憎悪の念には慈愛の心を以て許してあげなさい」「徳とは愛する」ことであると言える。
国の政治も、国民に対して、ああでもないこうでもないとうるさく干渉すると、国民が持っている自由な活力を奪い、反発を買ってしまう。「道」に目覚めた政治家は、無為にして無心、余計なことをしない。小魚を煮るようにあわてない。国民の活力をあるがまま受け容れる。
著者は「自由訳 般若心経」でも、いのちの宇宙大河について言及している。ブッダが説く「空」の見方も老子が説く「道」の偉大なはたらきを変化、あるいは、時間の観点から考察したものとみなしている。
【老子のいのちは 「千の風になって」 21世紀の人々に「道」を示唆してくれている】